要町に越してくる前の前の家。The木賃アパート。
三鷹のそのアパートは前が大家さんの畑で日当たりが最高に良く
外観の寂しいイメージとは違って清潔で居心地の良い場所だった。
事務所をやめひとりで細々と仕事を始めた頃で
私は一日部屋に居る生活だったのだが
隣のお兄さんもなぜか朝から一日家に居る人だった。
郵便受けには落研のような名前札が入っていて、
お兄さんはたまに午後から留守にするのだった。
三鷹のそのアパートは前が大家さんの畑で日当たりが最高に良く
外観の寂しいイメージとは違って清潔で居心地の良い場所だった。
事務所をやめひとりで細々と仕事を始めた頃で
私は一日部屋に居る生活だったのだが
隣のお兄さんもなぜか朝から一日家に居る人だった。
郵便受けには落研のような名前札が入っていて、
お兄さんはたまに午後から留守にするのだった。
落研お兄さんが本当の噺家だったと知ったのは
その後しばらくたってから寄席で真打ち披露の名前を見かけた時で
そういや生活パターンはまさに二つ目あたりの
堅気なんだか堅気でないんだかよく判らない、
けれどもなんだか呑気な雰囲気だったのである。
その後しばらくたってから寄席で真打ち披露の名前を見かけた時で
そういや生活パターンはまさに二つ目あたりの
堅気なんだか堅気でないんだかよく判らない、
けれどもなんだか呑気な雰囲気だったのである。
寄席では二つ目の収入は客の頭数によるワリ。一人の客×何円。
というのは1962年志ん朝さん(朝太の頃の)対談集で読んだのだけど
今ではどうなんでしょう。
寄席の数なんて知れている。楽な商売ではなさそうだけど...?
というのは1962年志ん朝さん(朝太の頃の)対談集で読んだのだけど
今ではどうなんでしょう。
寄席の数なんて知れている。楽な商売ではなさそうだけど...?